境内のご案内
境内マップ
本堂
説明
工学博士天沼俊一先生の設計、室町時代の枠を集めた木造大建築。
7間7面単層入母屋造本瓦葺、総建坪587.4㎡(178坪)の
総けやき材で創立当時の面影を残します。
塔頭寺院
塔頭寺院とは、本堂の脇に7軒連なる本能寺に給仕する子院のことを指します。
恵昇院(えしょういん)
- 天正2年(1574年)久成坊隆詠上人によって創立。
牡丹に縁のある宿坊として別称「牡丹坊」と呼ばれています。
現在、恵昇院山門に牡丹を像った瓦が乗り、玄関には檀徒から寄贈された大きな牡丹の絵が描かれた衝立障子があります。
昔は、放生の池があったといわれています。
蓮承院(れんじょういん)
- 浄運院日順上人が開基。
坊名は日蓮聖人の「蓮」と、日承聖人の「承」の字をいただいたと伝えらています。
本法院・慈眼院の歴代をおまつりしています。
定性院(じょうしょういん)
- 宿坊中興第30世天徳院日晴上人代に檀那衆との雅楽の会がありました。
鞨鼓・大鼓・鉦鼓が現存しています。
玄関先の繰型の窓が印象的です。
高俊院(こうしゅんいん)
- 華道本能寺家元創始者、大住院日甫上人が歴代。
現在の建物は昭和3年に再建、欄間の天女の図や座敷障子等、
特徴のある造りとなっています。
本行院(ほんぎょういん)
- 本能寺第12世御貫首伏見宮日承聖人が開基。
建物は、塔頭唯一玄関先に縁側がある造りになっています。
代々本行院は芸術家の檀信徒が多い塔頭です。
源妙院(げんみょういん)
- 本能寺第13世御貫首日堯聖人が開基。
宿坊 中興源妙院日玄 上人が本能寺第27世であり、現在末裔が源妙院の塔頭総代です。
龍雲院(りょううんいん)
- 杉若越後守が創立、龍雲院日政大徳が開基。
慶長19年(1614年)現在の建物は蛤御門の変の際、
龍雲院のみ残して本能寺諸堂すべて消失しました。
寺務所
- 2019年移転。
寺務所では御朱印の受付や、御守りなどの販売も行っています。
大賓殿宝物館
-Introduction-
大賓殿宝物館について
法華宗大本山本能寺は、1415年(応永22年)に日隆聖人が油小路高辻(現・仏光寺付近)に建立した本応寺が前身。
その後1429年(永享元年)、内野(現:西陣周辺)に再建した際、本能寺と寺号を定めました。
他宗による破却や、本能寺の変などの戦乱や災難によって5度の焼失、7度の再建を繰り返してきました。
このような災禍をくぐり、守り抜かれてきた宝物が多数現在に伝わり、大寶殿にて展示・公開されています。
「御本尊御曼荼羅」をはじめとする宗教的遺物や、檀信徒の豪商・茶屋家寄進の「大明万暦年製景徳鎮窯大瓶」、
狩野直信による「六曲一双 唐人物図扇面貼交屏風」、「建盞天目茶碗」など、
織田信長所蔵の茶道具類や書状、信長に危険を知らせたという唐銅香炉「三足の蛙」などの名品が楽しめます。
その後1429年(永享元年)、内野(現:西陣周辺)に再建した際、本能寺と寺号を定めました。
他宗による破却や、本能寺の変などの戦乱や災難によって5度の焼失、7度の再建を繰り返してきました。
このような災禍をくぐり、守り抜かれてきた宝物が多数現在に伝わり、大寶殿にて展示・公開されています。
「御本尊御曼荼羅」をはじめとする宗教的遺物や、檀信徒の豪商・茶屋家寄進の「大明万暦年製景徳鎮窯大瓶」、
狩野直信による「六曲一双 唐人物図扇面貼交屏風」、「建盞天目茶碗」など、
織田信長所蔵の茶道具類や書状、信長に危険を知らせたという唐銅香炉「三足の蛙」などの名品が楽しめます。
展示物のご紹介
現在本能寺には、災禍の中、先人たちが命を賭けて守り抜いた宝物が伝わり宝物館にて展示公開しています。
香炉「三足の蛙」(みつあしのかえる)本能寺の変の前夜、突然「三足の蛙」が鳴き出し異変を知らせたという、伝説があります。 |
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梅樹雉雀文様銅鏡:重要文化財(ばいじゅきじすずめもんようどうきょう)鏡背文様は、下に洲浜・岩礁・流水を配し、洲浜から梅樹が左上方に伸び、 二羽の雉と多数の雀が飛び交い、水面には梅花が浮かびます。 このように、鏡背面の内・外区に分ける界圏に関係無しに画面一杯写生風に花鳥を描くのは平安末期にはじまっています。 この鏡が本能寺に奉納された目的や時期は不明であります。 |
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五彩龍鳳花卉文大瓶「大明万暦年製」景徳鎮窯 : 重要文化財(ごさいりゅうほうかきおおかめ)一対の大花瓶は、六角面取り中蕪型。口縁部に「大明萬暦製」の年款銘が染め付けで記されています。 濃麗な萬暦赤絵特有の作例です。箱書きには「奉寄進 本能寺常住錦手大花瓶 一対 施主 茶屋中島長右衛門重良 正保二年十月十二日(1645年)」と墨書されています。 |
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六曲一双・唐人物図扇面貼交屏風:狩野直信画(ろっきゃくいっそう・とうじんぶつずせんめんはりまぜびょうぶ)「朝顔に薄」と「葛に薄」図を背景とする二隻屏風に二十四考をはじめとする中国の故事にもとずく絵を描いた扇面を60枚貼り交ぜています。 扇面の全てには松栄の朱文壺印が捺されており、松栄様の画風であるが個人の作品というより工房作りであろうと考えられています。 作風は永徳の豪華絢爛に対して、おおらかで温かみがあります。 またこの屏風は保存状態も良く、松栄の作風を伝える貴重な作品です。 |
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麒麟の香炉 : 織田信長寄進(きりんのこうろ)右は獅子ですが、左は麒麟ではなく獬豸(かいち)といわれる中国の伝説上の動物と思われます。 羊に似ていて頭には角があります。 古代中国では獬豸が現れるのは、王の裁判が公平で正邪を見分けた時であるといわれています。 中国秦の時代に多く造られました。 いずれも、胡銅の唐物です。 |
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建盞天目茶碗 : 織田信長所持(けんさんてんもくちゃわん)古渡り* 中国福建省の建窯製の天目 濃茶用。 *古渡り…室町時代またはそれ以前に渡来したこと。 |